hokkori

ハムチラのいる暮らし

自分自身とともにあること

こんにちは🐹

今日はちょっと自分なりに

深掘りして考えたことがあるので

それについて書きたいと思います(´-`).。oO

 

今朝、いつも通り

息子を学校まで送ったんだけど

 

通学路の途中で

同じ学校へ行く親子が前を歩いてたんです

 

うちみたいに、お母さんが

登校するのに付き添ってるんですね

 

で、子ども(男の子)がなんか喋ってて

その子のお母さんが

 

「ねぇねぇ、声が大きいよ」

「声の大きさ合ってる?」

「しかもまた一人で喋ってるよ」

と諭してた

 

それ見たとき、

わたしもまったく同じこと言ってたーーーー!

とハッとしました。

 

うちの子は発達に凸凹があって

支援級に通ってるんですが

 

周りを見て適切なボリュームで話したり

音量調節するのが苦手だし

 

双方向コミュニケーションも苦手で

一方的に話しちゃう節があるんです

 

それをどうにかしなきゃ!と

当時は焦っていて

 

発達に関する本を読みまくり

そこに書いてあった

「伝わる伝え方」を試したり

 

小児科の先生のアドバイス

実行したりしてた

 

要するに、息子が一人劇場になっちゃってるとき

今朝のお母さんのような諭し方をしてたんです

 

でも、今日ふと思ったのが

「なんで一人で喋ったらダメなの?」ってこと

 

そもそも、そこが疑問だし

黒柳徹子なんて

一人で喋り倒してるじゃないか。

あれはマシンガントーク

 

ワタシもいろいろあったから

昔と考え方が変わっちゃってる部分もあるけど

 

今になって

「コミュニケーションは自分とするもの」

というふうに思うようになりました

 

もちろん他人ともしていいし

その楽しさや素晴らしさもあるんだけど

 

他人とする以上に

一番は自分自身とするべきで

 

現代人に一番足りてないのも

ココなんじゃないかなと思ったりします

 

協調性あるのはいいことだけど

他人より、まずは自分と調和すること

自分と自分が仲良くなること。

 

“自分自身とともにあること”を

味わって、楽しむようにすると

日常の中で感じる幸福濃度が上がる

 

タイタニックのジャックとローズ。

プーさんとクリストファーロビン。

ドラえもんのび太くんのように。

 

何ができてもできなくても

何があってもなくても

明確な行き先があってもなくても

二人はただ「ともにあること」で幸せ。

 

自分と“もう一人の自分”がそうなれたら

自分と“本当の自分”の関係がそうなれたら

 

不足感から外に何かを求めて

彷徨うことが減る

 

そうやって自分の内側が

調和・浄化されることが

 

結果的に外側の体験にも

影響するんじゃないかと思う。

 

だから最近わたしが

ブログをちょこちょこ書くのも

こういうことを発信するのも

 

「誰かに届いたらいいな」

それもあるけど

一番は、自分がしたくてやっている。

 

自分は何が好きで何が嫌いで

何がしたくて何がしたくなくて

↑ココを深掘る!!

 

そして、できる範囲で

自分の望みを叶えてあげる

 

望まないことは

そうならないようにしてあげる

できる範囲で!

 

それをもっともできてるのは

赤ちゃんだなぁって思う。

 

自分の快・不快を

そのまま表現してる

 

小さい子どもも

まだあると思う

 

でも年齢を重ねるごとに

できなくなっていくのもあるし

それが「大人になる」ってことだと

教えられてきたけど

 

わたしは子ども大人に関わらず

自分らしくいられる人が

もっと増えたら素敵だと思うし

 

現代の大人こそ

“大人の鎧”みたいなものを

脱いでいいんじゃないかと思う。

 

幸せは世間や他人が定義するものじゃなくて

自分の心が決めるものだと思うから

 

だから我が子のことも

「この子のままでいいんだ」と

気付いたし

 

同じような子がもしいるなら

そっとエールを送りたいです(*^^*)

ボクもいたずらっ子のままでいる

 

ではまた♡