hokkori

ハムチラのいる暮らし

表現とは。

皆さまこんにちは🐭

久しぶりに2日連続で

ブログを書いてます。

 

「今年はブログを300記事かく」

と宣言したのですが

 

最近は週に2日くらいしか書かないときもあり

300記事なんて全く到達しないペースです😂

 

そもそもこのブログって

自分のために始めたんだけど

最近は気持ちに少し変化があって…。

 

自分の備忘録としてだけじゃなく

「誰かの役に立てたらいいな」

と思うようになりました(´-`).。oO

 

何日か前にね、YouTube

ミスチルの『終わりなき旅』を流してたんですよ。

 

そこで“あるコメント”が目に入って

すごく胸を打たれたんです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この曲がリリースされたとき自分は中学生で

いじめを受けていて死にたいと思っていた

 

自分の誕生日に自殺しようと試みて

母親を泣かせてしまったこともあった

 

でもこの歌詞が励みになって

思いとどまることができた

 

そんな自分も結婚して

今では二児の母です

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

というような内容でした。

 

わたしこれを見たときに

涙腺崩壊したんですよね。

 

すごいなぁ…って。

文章が誰かの人生を変えちゃうって

ほんとにすごいなって。

 

かくいうわたしも

これまでに何度も

歌や本に助けられてきました。

 

だからミスチルのような神業は

もちろんできないにしても

ほんの少しでもわたしの文章が

誰かの役に立てたら嬉しいなと思うんです。

 

でもそれって半端なく

難しいことなんですよね(>_<)

 

わたしは普段からいろんな方の

メルマガやblogを読ませて頂くけど

 

何かしら心にくる文章っていうのは

「なぜそれを人に伝えたいのか」という

書き手の目的が明確なんですよね、きっと。

 

“伝えたい”という想いが強いから

そりゃあ読み手にも伝わるよなって。

 

だけど一方的な「伝わってほしい」

じゃダメなんだとも思う。

 

なぜなら「伝わってほしい」は

「分かってほしい」と似ていて

「分かって!」はエゴだから。

 

伝えたいと思うこと自体はダメじゃないけど

まずは伝えたいことやメッセージを

自分が分かるように言葉にすることだと思う。

 

だってね、書いてる人自身が

自分の言いたいことを

「分かってるとき」と「分かっていないとき」って

その差がハッキリ出てるなと思うんです(´;ω;`)

 

わたしも、自分でもまだよく分かってないことを書くと

どこか“借りてきた感”がある文章になっちゃうし…

 

逆に「この人すごい!上手!」と思う文章は

紛れもなく“その人の言葉”になってる。

 

わたし自身がふわふわ思い描いてたことを

代わりにズバッと言語化してくれてる。

 

なんていうか、言葉に吸引力があるんです。

 

自分でもまだ確信が持てないことを追及して

自分で分かるように言葉にする。

つまり“自分との対話”なんだよなぁ。

 

そうやって自分に伝わるように書けたものは

誰かの心にも刺さるし響くはずだし

それこそが“文章で表現する”ってことなんだと思う💘

 

わたしもそういうブログが書けるように頑張るぞー(棒読み)

やってみなはれ


それでは今日はこの辺で♪

皆さま良い週末を(*^^*)